一時創作小説「はるをうたう」E

帰宅すると、誰もいない室内がいつもよりも広く感じた。
高槻家からお土産に頂いた桜餅を仏壇に供え、お線香を上げる。祖父が亡くなってから一年。めぐるましかったような気もするが、それほどでもなかったような気もする。
いつだってルカが隣にいたような気がする。
自室に戻り、窓を開けた。皓皓と照る月が部屋の中に光と影を作り出す。隣家の桃の木が月明りに揺れている。満月が近い。
たぷたぷとした暖かな風が頬を撫でた。桃の花びらが舞う。ほろほろとたゆたうそれに手を伸ばしすと、確かに指先をかすめていく感触。
花の匂いがする。川のせせらぎが聞こえる。

「――また、春が来た」

いつもと変わらない、いつもと違う春が。終わって、始まる。
変わっていくものもあるだろう。変わらないものもあるだろう。自分も、それ以外も。
ふと、視界が滲んだ。胸がいっぱいになって、ひとりでは抱えきれそうにない。
こんなにも大切にしてくれる人達がいる。賑やかな毎日がある。――そこに、確かに自分もいる。
感情が満ちていく。
悲しくないのに涙が出るのは不思議だった。いいや、きっと、こんなにも幸せだから、涙が止まらないのだ。
花の香りと暖かな光に包まれ、満たされた感情を抱きしめ、ワタシでありかつてはオレであった水無瀬千織は、春風に髪を遊ばせていた。

一次創作小説「はるをうたう」D

エビとイクラと菜の花のちらし寿司、ツクシの白和え、ハマグリのお吸い物、カブの煮物、……デザートに菱餅ゼリーも出てきた。豪華だ。

「なんでツクシ!? 苦ぇべよ」

「生えてたから……」

「何その理由!?」

「トビト、好き嫌いはやめなさい」

食卓を囲めば、あとからあとから話し声が途切れない。

「そういえば千織ちゃん、京くん……お父さんから連絡はあったかい?」

ルカの両親は父の先輩にあたる。そういえばこの人と父は幼馴染の関係だったと思い出した。自分とルカはどうだろうか。これから大人になっても、この関係は。

「高校入学の連絡をしたら喜んでくれました。両親は……どちらかでも予定を空けて、入学式には出席したいと言っていました。ワタシは、忙しいなら別にいいって言ったんですが……」

ルカが眉根を寄せ、じっとこちらを見てくる。

「……なに?」

「その一人称、やっぱしまだ慣れないわねん。ちおりん、ずっと自分のこと『オレ』って言ってたもの。受験の面接用に口調を矯正するなんて! なんてつまんないの!! もう終わったんだから戻してもいいのよ!?」

「ほっとけ」

ルカにはやたら不評だが、ワタシはこの自分も結構気に入っていた。

「嫌いになった?」

ニヤリと笑って見せれば、ルカは唇を尖らせた。そのまま耳元に息がかかる距離まで詰め寄り、「あのね」と前置きして囁く。

「……わかってて聞かないでよねん。言っとくけど、あたしを見くびらないで。むしろもっとうぬぼれてくれてもいいくらいだわ」

ルカはさっと身を離すと、

「そこ! 自分の娘をネタに笑ってんじゃないわよ全く!!」

口元に手を当ててニヤニヤする母親に向かい騒ぎ始めた。

一次創作小説「はるをうたう」C

「ごちそうが来たわよん」

ルカと両親の手には色とりどりの料理があった。

「手伝います」

「ぼくもー」

イサクが続く。何となく全員の目が座ったままのトビトに向かうと、トビトはばつが悪そうに大の字に寝転がった。

「おれはワルだかんな! 手伝わねーべ!」

「はいはいあんた邪魔よー」

ルカの母親につつかれている。
ルカの母親の容姿は、まさにルカの未来の姿と言われても納得するくらい似ている。背丈も近いので、もし髪型が同じなら後ろ姿を間違えるかもしれない。性格はさすがにあそこまでおかしくはないが、思考の方向性に遺伝を感じてしまうのは否めない。
現に今も有無を言わせない勢いだった。

「ほら、千織ちゃんは流夏の隣ね! 千織ちゃん細いんだから食べなさい? いいのよ成長期なんだから!!」

「千織ちゃん、甘酒は平気? ジュースもあるからね」

「ああっ、ありがとうございます」

「何よ、うちの両親相手にかしこまっちゃって。いつものドライさはどうしたの!? あたしにするみたいに!! あたしにするみたいに!!」

「別にいいだろ!?」

「ぼくはジュースがいいな」

「おれ、甘酒ー! 大人だからー!」

「あれ? ここにあった雛あられは? ……全部食べちゃったの!?」

「ごめんなさい」

「……ごめんなさい」

「やだトビトったら、自称ワルのくせに素直に謝るの嫌いじゃないわよ!」

一次創作小説「はるをうたう」B

土間玄関の横は和室になっている。普段は客間として使われている部屋だ。
障子を開けると、ちゃぶ台と座布団が用意してある。少し離れた位置に置かれたストーブの上で、ヤカンが湯気を立てていた。
ルカの弟達は部屋の隅の段飾り雛人形のそばで何やら慌てていた。

「お邪魔しまーす。こんばんはー。……ところであんた達、何してんの」

「こんばんは千織、なんでもねーよ?」

一人目の弟、トビトが頬をひきつらせる。

「こんばんは。そうだよ、何も隠してないよ!」

「おいバカ!」

二人目の弟、イサクが口を滑らせ、トビトに小突かれている。

「痛いよトビ兄!」

「千織、なんもねーからこっち来んなって!」

騒ぐ二人を押しのけて、雛飾りの赤い布をめくる。そこには雛あられの袋がいくつか押し込められていた。

「全部食ってんなよ!」

「おれじゃねーよイサクだよ!」

「トビ兄だって食べたよう!」

「はいはいわかったから、後でそれを両親に言えよ」

ぐっ……と二人が押し黙る。一段落したようなので箸やらの配膳を始めると、二人も空袋の片付けを始めた。

「ねー、トビ兄。ひな人形っておひなさま以外もいるんだねー」

「そーだよ。こっちがお内裏様で、こっちがお雛様」

「うん」

「二人は雛祭りの司会」

雲行きが怪しくなってきた。

「そうなんだ! じゃあこの三人の女の人は?」

「アイドルユニット」

「五人いるのは?」

「ボーイズバンドパーティ」

「弓持った男の人とおじいさんは?」

「会場警備員」

「三人のおじさんは?」

「前座で呼ばれた芸人」

「この牛は?」

「機材とか積んでる」

「そうなんだ!」

いや疑えよイサク。

一次創作小説「はるをうたう」A

桃の花が咲いていた。
濃く色付いた花弁が匂い立つ春を謳っている。
ルカの自宅の玄関に活けられたそれにしばし目を奪われた。

「やあ千織ちゃん。いらっしゃい」

ルカの父親が廊下から顔を覗かせた。恵比寿顔というのだろう、人の良さそうな細い目をしている。背は高い方ではないが、元球児だからか体型はがっしりとしている。現在もなお日々の農業で鍛えられている、現役の筋肉である。

「こんばんは。お招き頂きありがとうございます」

「かしこまらなくていいべよ。高校進学おめでとう。また流夏と一緒だけどよろしくね」

よろしくされてしまった。世話になっているのはこっちなのに。

「ま、上がった上がった。おーい流夏、千織ちゃん来たよー」

台所に呼び掛けると、エプロン姿のルカがお盆を片手に表れた。無意味に仁王立ちである。奇特な柄のエプロンは、確か小学校の時に家庭科の授業で縫ったものだ。つんとした酢飯の匂いがする。

「来たわねちおりん! 早速だけどこれをあっちに配膳してもらうわよん! 今ちょっーと忙しいから、間違っても台所に顔を出そうとか考えんじゃないわよ!!」

言うが早いか暖簾の奥へと消える。
お盆には人数分のおしぼりと箸と箸置きが乗っていた。要するに戦力外通告。

「まあまあ。飛人や伊作と遊んでやってよ」

ルカの父親も苦笑しながら台所に消えた。
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