首吊り日記


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11/17 22:32

[ 休日と過去と縁の話 ]


一番最後に書きたい事を書きますね。
■■■■■


3連休を貰った。

初日の今日は駅の方まで遊びに行って来た。
途中、老人介護施設の入り口で椅子に座り、下を見たまま動かないでいる爺さんを見かけて
まるで自分のようだと思ってしまった。
別に悲しい事があった訳じゃない、時間の流れが、きっと似ているんだ。

そして、それは今の私にとって、きっと良くない事なのだとなんとなくわかる。


駅付近で本を買って、広場で時間を潰して

そこで忙しそうに走って帰る中学生や、1人で下を向いたままトボトボと帰っていくランドセル姿を眺めて。


コンビニで
家から持って行った画集と、携帯内の写真データをコピって帰宅。
今新しく本を読み終えた所。



こう書き出してみると私って余程の暇人なのだな。

最近、1日が短く感じて仕方がない。
空っぽのまま、勢い良く通り過ぎて行って、気ばかりが急いで(いるようで良く考えてみると結構呑気でしかいられない)。
朝にああ出かけなければと思い用意すると、玄関のドアを開ける頃にはもう随分と日が傾いていたりして。
こればかりは良く笑われるのだが、私は外出の準備や着替えに、かなり時間がかかる。

別に大してお洒落をする訳でもなく、仕事着の時ですらそうだ。
メイクだけは自分の本業(視覚的創造)な事もあってとことんこだわりを持ってするのは認めるけれど。
あと朝ご飯。
普段でさえ低体温、どんなに食欲無くても無理やり流し込んで食べないと倒れる…。
朝は家を出る1時間前に起きるのだけれど、これでもかなり早くなった方だ。
前は一時間半以上はかかっていたから。


「仕事着」で思い出したのだけれど
“群馬の学生は休みの日でも制服”とは本当だろうか?

確かに私の中学時代は休みの日にちょっとした公共な集まりがある時の会話として
「明日何で行く?制服-?」
なんて会話を良く聞いたが、私の地方だけのような気もする。
日曜日に公民館に学校のジャージで出かけたりね。

高校になってからは勿論休日登校なんて当たり前だから、高崎まで来てどうなのかはわからないな。

ここまで書いておいて実際はそんなに気になってはいないから別にどうでも良いのだけれども。
ちょっとした話のネタとして。

今日は寒い。
仕事ではかなりハードな仕事をしている割には、普段立っていると低血圧やら貧血やら生まれつき心臓が強くない事がたたってめっきり横になっている事が多い(怠けと言う)。
その為最近はコタツよりも電気毛布を愛用していたのだけれど
冬の暖房器具使用は低体温に良くない事を知ってからあまり使わないようにしている。

極厚のマットに掛け布団を毛布2枚で挟んだ下に更にコタツに使っていた掛け毛布2枚を挟んだりして。
1人暮らしを始めてから1年、夏は勿論使わないから、どれも新品のフカフカで








…フカフカって不快だな。

ふかふかにしよう。よし、ふかふか。
(わかる人にはわかるネタw)





とても体温を籠もらせてくれて暖かいのだけれど、そろそろこれも限界なほどの寒さだなと最近思う。

と言ってもベランダへのドアと、出窓は開けっ放し。
埃臭いのが大っ嫌い。
田舎のカビ臭い筈の家に育ったのにこう言う所が繊細なのは、きっとその古い家が隙間風で埃臭くならなかったからなんだろu(ry

木もたくさん生えていたし。
多分、体が空気には煩いのだと思う。笑




駅に向かう途中、偶然こーすけに会った。
不思議なものだと思う。
震災の日には、高崎を彷徨いている時に偶然しんに会った。

とまぁメンバーの名前だから挙げたけれど、高崎の高校に通い、高崎でバンドを中心とした生活を始めてから
知り合いに偶然出くわすようになって、本当に良く思う。
知り合う前から街ですれ違うなんて、当然の事のように何度もあっただろうに。



現に中学で知り合ったとても仲の良い友人の1人に、そう言う奴がいた。
友達になったのは中学になってから。
それなのに、長い髪を後ろで1つ三つ編みにした「そいつ」と長い髪を後ろで1つ三つ編みにした「私」は以前から行く所行く所と何度も出会っている事にお互いが気付いていて
たまたま見た目が印象的だったからこそ、お互いを意識していたものの
知り合う前…「赤の他人」の時代からこれだけ会っていると本当に
人の縁とは不思議で、尚且つなんて狭いものなのだろうと


そして、


きっと今後知り合う「未来の知人」とも
お互い気付かぬまま「赤の他人」としてもう何度もすれ違っている事だろうと

そう思えてならない。





 FFTBS 









話題:ちょっとした世の中の不思議





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