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information / 07/13 09:51

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突然で驚かれるかと思いますが今日は家族の病気のことを書かせてください。


三年前、母に乳癌が見つかりました。その時既にリンパ節に転移しこのまま何もしなければ余命は一年と宣告されていました。病変があることは本人は暫く前から気付いていたそうですが癌であることが怖くて黙って放っていたのです。



母は元々病弱なうえ軽度の化学物質過敏症もあり、そのストレスから強迫神経障害も併発していました。そのため空気の良い父の実家で父と暮らしていました。わたしは祖母の面倒を母の実家でわたしが替わりにみて数年母とは(市街地から離れた車で通える場所なのでそんなに遠くではありませんが)住処が離れた暮らしになっていました。

過去のことを言っても仕方ありませんがもし母と暮らして様子を常に見てにいたらわたしが何らかの変化に気付けていたかもしれません。最初にかかった大学病院の先生が早く来ていたら完治していたかもしれないのに…とあっさり言い放った言葉が今でも忘れられず悔やまれます。


化学物質過敏症のため手術どころか検査も大変でしたがそれでも乗り越えてくれました。ただ本人の強い意志で術後の化学療法は一切行いませんでした。わたしや家族の説得も頑なに拒み医師との相談のうえ経過に気をつける生活を送っていました。


術後の母はとても元気になり手術を乗り越えた自信もつき驚くほど化学物質過敏症の症状も小康を保っていました。時折体質的な体調不良に見舞われることはあったのですが定期検査でも引っ掛かることなく再び病変が現れることはないのではないかと思う矢先でした。

6月に少し体調を崩し回復し7月の定期検査を前にして体調が急激に悪くなった母は歩行が困難になるという明らかに今まで起きたことのない症状が現れました。そしてあっという間に杖か誰かの支えがないと歩けなくなってしまいました。


先日体調をみて検査をして頂きました。結果は脳への転移でした。腫瘍は3センチ以上で後頭部の首筋の近くにあり手術の出来ない場所なのだと告げられました。歩行が困難になったのはこの転移性の腫瘍の影響です。お医者さんは余命までは仰有いませんでしたが母が看護婦さんと診察室を出た後でもしかしたら短いかもと教えてくれました。

再発を告げられた後の母の様子は気丈で穏やかだったのですが辛くて書けません。


ただ、今は前向きで免疫力をあげるような療治も挑もうという気持ちでいます。母は一人になると塞いでしまうので常にそばにいてお喋りしています。確かに呂律が少しまわらなくなっている気もするし歩くことも杖が必要になりましたが笑って昨日もお洒落の話をしていたし脳に腫瘍があることを忘れてしまうくらいです。


今わたしが誰より気丈にしていないといけません。母の前では大丈夫ですが側から離れると急に声をあげて泣いてしまいます。でもそれで心のバランスをとっているのだと思います。ご心配かけるようなことを書いてしまってすみません。


母が健やかに暮らせる日が1日も長く続くよう支えていきたいと思います。

ブログは暫くお休みします。母の様態が落ち着いたら戻ってきます。

遊びにきてくださったりお声かけてくださったりいつも本当にありがとうございます。


どうぞ気温が益々高くなってきましたのでお体にはくれぐれも気をつけてお過ごしくださいませ。それでは暫くの間失礼します。




話題:ひとりごと





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C'est bien !!
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