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貧乏は人を殺す

お金が無さすぎて次の引き落としに残高が足りずに督促状が届いて最終的に殺されるという最悪な夢で起こされた。目覚めた瞬間にこんなにも意識がはっきりしているのは数年ぶりだと感動しつつ心臓が荒ぶっていた。
お金が無いのは夢ではない。私はニートだからだ。大学卒業後二年続けた仕事を三月いっぱいで辞めてから、二年で貯めたお金を切り崩して生活していた。貯金は大した金額ではなかったので半年そこそこで尽き始め、今まさにデスマッチなのである。

今制作している作品をきっちり終わらせるまで死ねないと軽くパニックになった私は何を血迷ったかアルバイト情報サイトで日払いのバイトを検索し一番に表示された仕事に応募の電話をしてしまった。
仕事内容も給料も勤務地も見ずの応募なので本当に衝動的なものだった。
パニックになっているのと裏腹に私は当たり障りのない丁寧な口調で応募の旨を伝え、明日面接を行うこととなってしまった。
二度と働きたくねぇ、人と関わらず制作だけして死ぬと意思を固めていたにも関わらず、電話の後に応募した仕事内容を確認すると、明るく笑顔で元気よく接客するお仕事です!と私の不得手なこと全てが書かれていた。
今日は泣きながら眠るために沢山水分を摂取しておこうと思う。

70の師

先週の日曜日に日本画の恩師である元大学教授の先生をアトリエに招いて制作の指導をして頂いた。大学を卒業してから二年経つが、先生の背筋は相変わらずしゃんとしており、一つしか年の違わない父の年々丸くなる背筋と大違いで安心する反面、父が心配になってしまう。
先生は大学を退職した現在は92歳の母親を介護しながら現役バリバリで制作をしているそうだ。70歳が92歳を介護。まさに老老介護という現代の社会問題を目の当たりにした。70歳というと25歳の私から見れば立派な老人なわけだが、私が先生の身体を労わる度に老人扱いするなと不機嫌になる。でも先生、お孫さんいらっしゃるでしょう、それならおじいちゃんじゃないですかと言うと先生は複雑な表情で黙るまでが通過儀礼だ。
アトリエと書いたが、そこは大層な場ではなく私の祖母が生前暮らしていた小さい家だ。実家から徒歩30秒という立地にあり、三年前に他界してから家主が居ないため私が勝手にアトリエに使っているに過ぎない。はじめこそ甲斐甲斐しく今日も場を借りますと線香を焚き染めたが今ではしなくなった。あの世から見ているならば薄情な孫だと憤慨しているにちがいない。祖母は嫌味をよく言う老人だった。
先生に見てもらった絵は8月に落選して無言の帰宅をした(私は落選して帰って来た作品を死体として扱う)絵である。いまいち何かが足りなかった感が気持ち悪いので見て指摘を受けたかったのだ。先生は絵を見て前の作品(7月に展示された別の絵)と全然違う、貴方は二面性がある、しかし不安定だと言った。たしかに以前の絵とは趣向も考えも180度違う作品だ。以前の絵を陰とするなら今回は陽だ。さすが先生、なんでもお見通しだなぁと、感動してしまった。奥行きの表現が逆だという指摘を受け、なんで気付かなかったのだと驚いているうちに先生は構図から変えようとパステルで無造作に線を入れ出した。人の作品だというのに躊躇がまったくない。いつもなら怒りを抑えるのに苦労するが今回は死体なのであまり嫌な気分では無かった。
ここをこんな感じに直すと良くなるよ、あと全体に紫を入れて空気を描きなさいと簡単に言われたがどう見ても修正が困難な広さだ。先生はすぐ直るというがそれは先生が化け物だからに違いない。
先生が引いたパステルの線をヒントに修正を施す間、先生は祖母の仏壇に線香をあげた。そして経本を見る事なく読経し始めたので私は背を向けているのをいい事に声を殺して笑った。決して笑う場面ではないし心遣いに感謝すべきなのだが、恩師が祖母に読経している背後で孫が素知らぬ顔で絵を描いている状況が可笑しく思えたのだ。先生もやる事なくてひまだから読経してくれたのだろう。それもなんだか可笑しかった。

指導の後先生をお見送りしてアトリエに戻ると、先生がフリーハンドで簡単に引いた線に定規を当てて確かめると、110センチの線がほぼ狂いなく直線であったのがわかった。先生はやはり化け物じみている。もうすぐ妖怪になるのだろう。
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