塾講時代の後輩が盆に飲み会を企画した。
まあ行かないんだけど。

飲み会そのものが楽しい人種ではないし、
出席するならその場にいる人から得るものがなけりゃ
子どもの預け先を探してまで出席したいとは思わない。

どうせ連中と会っても特に身のある会話は期待できない。
何度もした思い出話を繰り返すか
仕事の愚痴とか話すんだろ。
絶対嫌だわ。生産性がない。
盆も正月もない自営業なので夜は家で休んでたい。

そんなわけで当時から付き合い最悪だった私は
さも当然のようにグループラインに不参加連絡をし、
「子育て中につき不参加、すまんな」
の一言で済ませた。


で。
そもそも子どもを産んだこと自体
一部ツイッターで繋がって知ってるやつ以外には
特に報告してないけど。

数ヶ月前に開催されたらしい飲み会で共有されたのか
特に驚かれもせず、
むしろ連絡先がようやくわかった的な扱いで
個別にお祝いとご飯のお誘いが来る始末。

なんなんだ。


もちろん嫌な気はしない。
誘われれば嬉しい。

でも、何年も連絡とってなかったくらいの
過去に縁があった相手に対して
そこまでのテンションで来られるのがすげえなって
ちょっと引いてる。
そんなに私に会いたいか。


振り返ると学生時代の私は
今と比べるとかなり人気者だった気がする。

他人を思いやらず、自分の主張ばかりし、
相手の話は聞かず、偉そうで、
自分の都合を押し付けてばかりいた気しかしないんだが。

今と決定的に違うのは、
いかにもエネルギッシュだった。


卒業して鬱やって、その後妊娠期間に発覚したのが
私は躁鬱の気があるということ。

どう考えても学生時代、
特に大学2年からの卒業してしばらくの期間まで
緩やかな躁状態だった。
生きてるのがめちゃくちゃ楽しかった。

ある日突然
「人生楽しい!」
ってスイッチがカチッと入ったような感じ。

ちなみによく考えれば中3〜高3の初めまでは
元カノとメンヘラずぶずぶだったので
緩やかな鬱状態だったようにも思う。


あの学生時代の緩やかな躁状態は
根暗の私を「エネルギッシュな人」にさせ
自己中心的な振る舞いさえ
「面白い」「さっぱりしている」と言わしめるだけの
なにかしら私に都合の良い力があった。

当時の私を知る人に久しぶりに会って
「最近全然外出してないわ。まあインドア派だから辛くないんだけど」
とか言うと
「え、狩野さんにインドアのイメージないんですけど」
とか言われる。

アウトドアというとまた違うが、
インドアな趣味をアウトドアでやってる印象があると。

まあ確かに学生時代は
大学に美術館にライブにバイトにと
忙しくしていたのでそのイメージもわかる。

でも本質的に根暗だし、人といると疲れちゃう。
当時は人に気遣いゼロだったから疲れなかったんかな。


振り返ると全然違う人みたいだ。
でも私はあの頃の私が羨ましい。

今は安定しているけど、
どちらかといえばバイオリズムは鬱寄りなので
躁寄りにならないかな。

躁寄りになると無敵モードに入るので
体が今の基準値と比べて不思議なくらい疲れず
めちゃくちゃ目標に向かって邁進しまくるので
あれは感覚としてマリオでスター取ったみたいな感じなんだよな。