スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

0317



いろいろ書いてきましたが、入院した記事は非公開としました。
拍手やコメントに励まされました。
ありがとうございました。

昨日、診察に行ってきました。
血は溜まってるけど大丈夫だそうです。
そういえば、前のときもそうだったな…
もう受診しなくて大丈夫とのことなので、よかったです。

でもいい病院だったな〜
接遇って大事だよね、うん。
ブラックと有名ですが、スタッフさんはみんな良い方でした。
忙しそうではあったけど…
多分もう行くことはないでしょう。
お世話になりました。


染色体の異常等ではなかったので、次は心配しなくて大丈夫ですよって何回も言われた。
心配だったら今は出生前診断もできる時代だと。
ただ、横隔膜ヘルニアはそれらでわかる病気ではなく、本来この週数でわかるものでもないし、そうそうある病気でもないので、続くようなことはないかと思いますとも。

まあ、なかなか切り替えできませんけどね。


あーまだ話足りないのかな。
これで最後って言ったのにな。
そもそも他の話題が…
届いたらどうぶつの森やろう。



0315

しばらく自分の記録としていろいろ書きました。
ここに書くことで自分の気持ちの整理ができるのではないかと思ったからです。

妊娠していたことは友達には話していません。
前回心拍の確認後に流産したことがあり、安定期に入るまでは言わないでおこうと思っていました。
そんななか、友達が妊娠し夏頃に出産予定であることを知らせてくれました。
それを聞いて、自分も妊娠していると打ち明けようか迷いました。しかし、結局そのときは話しませんでした。
もう少し経ってからにしよう、と。
今はそれでよかったと思っています。

でも、その友達の赤ちゃんがうまれたとき、自分は果たしてお祝いできるだろうか、と思うのです。
本当に自己中心的な考え方ですが、今ごろは自分も…など思ってしまうんではないか、と。

わたしは現在、仕事を休んでいます。2週間の病休をいただきました。
産休もとれると思うよと言われたのですが、お願いはしませんでした。早く辞めたいと思っているからです。

休んでいる間、いろいろな方のブログをみました。
死産をされた方、自分と同じように赤ちゃんの異常が見つかった方、余命を宣告されてもそれを覆し元気に過ごしている子など…
みんな、わたしと違って強いんだなと。自分は弱かった。

わたしは看護師をしています。
ですが、産科や小児の医療的な知識はありません。学校では習いましたが、使わなければ忘れてしまいます。
多分、普通の妊婦さんと同じか、もしかするとそれ以下かもしれません。今はいろいろなところに情報が溢れていますから。

看護師をしているなかで、亡くなる方をたくさんみてきました。延命を希望される方、されない方、さまざまいます。
延命を希望すること事態は悪いことではないし、それを否定するわけではありません。
ですが、わたしは赤ちゃんに、呼吸器等をつけたくはなかったのです。かわいそうな気がしました。
これは完全に自分のエゴです。

奇跡はそうそう起こりません。仕事柄知っています。
ですが、巷にはいろいろな奇跡のお話が溢れています。
自分はそれを信じることが出来なかった。
信じることができたなら、選択がかわっていたかもしれません。
わたしは弱いのでできませんでした。
助かる可能性がほとんどないのに、延命を選ぶことはかわいそうなこと、そう思ってしまいました。
多分看護師としての自分が強かったのかもしれません。

しかし、いろいろな方のブログを見ているうちに、自分の判断は間違っていたのではないかと思うようになりました。
でもどうすることもできません。選んでしまったから。
赤ちゃんは生きたかったかもしれない。
そう思うと後悔でいっぱいです。

わたしは妊娠はこれで最後にしようと思っていました。
つわりは辛いし、陣痛もあの最後の痛みに何時間も耐えられない、何より、もうつらい思いはしたくないと思ったからです。
でも、退院の日に赤ちゃんに会ったとき、やっぱりまた赤ちゃんに会いたいなと思うことができました。
とても小さかったけど、とてもかわいかった。
でも夫にはまだそのことは言えていません。

中絶を選んだのは自分で、赤ちゃんはなにも悪くありません。
ですが、やっぱりかなしい。
自分で選んだけど、つらい。

先日、火葬と納骨を終えました。
そろそろ向き合わないといけないとは思います。
仕事も今週末から復帰する予定です。
腹痛等は、幸いなことにほとんどありませんでした。
しかし、この2週間ほとんどなにもしていないので、働けるかが不安です。


しばらくこの話題について書きましたが、これで終わりにします。どこにも出せなかったこと、はなすことができてよかったです。自分の気持ちの整理にもなりました。
また、拍手やコメントありがとうございました。





0311


東日本大震災から9年。
当時わたしは看護学校の1年生でした。
家は被災しましたが、家族はみんな無事。
思い出の品等、何も残らなかったけど、実家は高台へ。
もうそんなに経ったのか。
そうだよね、町もかわったもんね。
わたしは津波を見ていません。
ちょうど研修で山の方の施設にいました。
家が、人が、流されるところを見ずにすみました。
とても幸せなことだと思います。
震災のこと忘れないようにと言いますが、わたしは忘れたい。
多分、そう思うのは身近な人が生きていたからだと思う。
自分にできることをしていきたい。

前の記事へ 次の記事へ