河北新報。一力遼日本の囲碁棋士言語編集一力 遼(いちりき りょう、1997年6月10日 - )は、日本の囲碁棋士、河北新報社の新聞記者。宮城県仙台市
2023/09/05 11:40
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実家がストーカー新聞屋(笑)俳人など(笑)


一力遼
日本の囲碁棋士
言語
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一力 遼(いちりき りょう、1997年6月10日 - )は、日本の囲碁棋士、河北新報社の新聞記者。宮城県仙台市出身[1]。

一力遼 棋聖 本因坊
名前
一力遼
生年月日
1997年6月10日(26歳)
プロ入り年
2010年
出身地
宮城県仙台市
所属
日本棋院東京本院
師匠
宋光復
在位中タイトル
棋聖 本因坊
段位
九段
概要
タイトル獲得合計
19
七大タイトル
棋聖
2期(2022・23)
名人
挑戦者(2021)
本因坊
1期(2023)
王座
挑戦者(2017・18)
天元
1期(2020)
碁聖
1期(2020)
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世界タイトル
獲得数
1回               
タイトル
優勝 グロービス杯世界囲碁U-20 2014
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第46・47期棋聖位。第78期本因坊位。第45期碁聖位。第46期天元位。王座戦挑戦者2回。第25期阿含・桐山杯優勝。第25期・第27-29期竜星戦優勝。第66・68?69回NHK杯優勝。2014年グロービス杯世界囲碁U-20優勝。

棋聖戦・王座戦・天元戦の最年少挑戦記録など、多数の最年少記録を保持している。

芝野虎丸、許家元と並ぶ「令和三羽烏」の一人[2][3][4]。タイトル挑戦は最も早かったが、井山裕太に5回連続で阻まれ、初タイトル獲得では他の2人に遅れをとった。

仙台市立片平丁小学校、東京都立白?高等学校・附属中学校、早稲田大学社会科学部卒業。

東北地方のブロック紙を発行する新聞社「河北新報社」の創業者一族[5]。父は一力雅彦、叔父は一力敦彦、祖父は一力一夫、曾祖父は一力次郎、高祖父は一力健治郎。

経歴
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河北新報社の社主で有段者だった祖父・一力一夫の手ほどきによって5歳で囲碁を覚えた。6歳から8歳まで地元の国際囲碁大学囲碁教室に通い、また阿含・桐山杯でプロに勝利したこともある大沢伸一郎[6]など地元のアマチュア強豪からも指導をうけた[7]。

2005年、仙台市内の小学校の2年生で少年少女囲碁大会全国大会に出場。3位となる後の院生に敗れ、2勝1敗でリーグ敗退[8]。その後、日本棋院東京本院の院生となり、週末の院生研修に出席するため仙台から上京していた[9]。

2008年、5年生の時「もっと碁を学びたい」と母と共に都内に転居[10]。冬季採用試験では、稲葉貴宇・安達利昌らに次ぐ12位で入段は出来なかった[11]。

2009年、冬季棋士採用試験に臨むが、竹内康祐・沼舘沙輝哉らに次ぐ4位で入段は出来なかった[12]。

2010年、東京都立白?高校付属中学1年時、夏季棋士採用で6月の院生順位1位により入段を果たす[13][14][15]。同年9月1日に初段。

2011年、第8回中野杯U20選手権3位、第21期竜星戦本戦に出場、第37期新人王戦本戦入り、同年12月22日に棋聖戦最終予選に進む。

2012年1月1日、二段(賞金ランキング)。同年3月19日に第3回おかげ杯本戦入り、同年10月28日に第9回中野杯U20選手権優勝。同年11月18日に第7回若鯉戦準優勝。

2013年1月1日、 三段(賞金ランキング)。同年5月16日、第4回おかげ杯で安斎伸彰を降し優勝。同年8月19日に第20期阿含・桐山杯準決勝進出。同年9月26日に16歳3カ月16日で第52期十段戦本戦入り。これは十段戦本戦入りの最年少記録。以前の記録は、趙治勲と井山裕太の18歳[16]。同年11月18日に第8回若鯉戦で富士田明彦新人王を降し、初の公式戦優勝。文藝春秋の企画「人材はここにいる」にて、各界の逸材108人を選んだ中、囲碁界からただ一人選出。「タイトル歴のあるベテラン棋士が、彼に見解を聞きに来る」という逸話が紹介された。

2014年1月1日、四段(賞金ランキング)。同年3月21日 第39回棋聖戦リーグ入りを果たし、規定により七段昇段。これは井山裕太の17歳10カ月(2007年棋聖戦リーグ)を抜き、三大リーグ入りの最年少記録となった(16歳9カ月)[17](0勝5敗で陥落)。同年5月11日、第1回グロービス杯世界囲碁U-20において、韓国の羅玄、中国の連笑といった次世代最強と目される棋士を立て続けに下し、決勝で日本(台湾出身)の許家元を破り、国際棋戦優勝を飾った[18]。同年5月16日、第5回おかげ杯決勝で瀬戸大樹を降し、二連覇。同年8月21日、第40期天元戦本戦初出場で準決勝進出、挑戦者となる高尾紳路に敗れる。同年9月25日、第39期新人王戦で志田達哉を2-1で降し、17歳3カ月で史上最年少新人王となった[19]。 同年11月11日、第1回イベロジャパン杯(非公式戦)で許家元を降し優勝。

2015年、第62回NHK杯決勝で、伊田篤史に敗れて準優勝。ちなみに、この決勝はどちらが優勝しても最年少記録であった。同年10月20-22日、第17回農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦の第1-3戦で、依田紀基以来10年ぶりとなる3連勝を達成。賞金ランキング9位。

2016年4月、早稲田大学社会科学部に入学。同年9月2日、第42期天元戦の本戦決勝で山下敬吾を下し、井山裕太天元への挑戦権を獲得。現行の七大タイトル戦史上、10代の挑戦者は2008年の名人戦に19歳で登場した井山に続き2人目[20]。同年9月26日、第26期竜星戦の決勝で井山裕太を下し初優勝する。同年9月27日、第18回農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦の第1戦、棋界の第一人者・李世?を撃破する快挙を成し遂げた[21]。棋道賞最多勝・最多対局賞受賞。賞金ランキングで自己最高の3位。

2017年、中国の団体戦「中国囲棋甲級リーグ戦」に重慶チームのメンバーとして参加[22]。8月25日、第65期王座戦本戦決勝で芝野虎丸七段に勝利し挑戦権獲得。続いて8月31日、第43期天元戦本戦決勝で山下敬吾九段を破り2年連続で挑戦権を獲得。王座・天元ともにタイトルホルダーは井山裕太七冠なので挑戦手合計10番勝負を行うことになった[23]。9月7日、第42期棋聖戦Sリーグで1位になり挑戦者決定トーナメント進出。11月9日、棋聖位挑戦者決定戦で山下敬吾九段に勝利しアドバンテージの1勝を合わせて2勝となり挑戦権獲得。20歳7カ月での棋聖位挑戦は井山の21歳7カ月を更新し史上最年少記録[24]。これで王座戦・天元戦も続き3戦連続の挑戦手合となり、棋聖位も井山裕太なので史上初の3棋戦連続同一カード「十七番勝負」となった[25]。10日、三大タイトルの挑戦権獲得にて規定により八段に昇段[26]。20日、王座戦挑戦手合で井山裕太王座(七冠)に3連敗し敗退[27]。24日、天元戦挑戦手合で井山裕太天元(七冠)に3連敗。

2018年、棋聖戦挑戦手合で井山裕太棋聖(七冠)に4連敗[28]。これで昨年から王座戦・天元戦・棋聖戦と続いた対井山との挑戦手合は一力の10連敗と完敗した。4月29日、MBS「情熱大陸」20周年記念「ハタチの情熱」第四夜に出演[29]。9月13日、第66期王座戦挑戦者決定戦で本木克弥八段に黒番中押し勝ちし2期連続で挑戦権獲得[30]。9月24日、第27期竜星戦決勝で本木克弥八段に中押し勝ちし二度目の優勝を果たす[31]。10月6日、第25期阿含・桐山杯決勝で芝野虎丸七段に中押し勝ちし初優勝[32]。井山裕太王座に挑んだ王座戦挑戦手合は最終局までもつれたものの、12月13日に行われた最終局は井山の勝利に終わり、5度目の挑戦手合でも七大タイトル獲得はならなかった。

2019年、第66回NHK杯(2018年度)で優勝。9月23日、第28期竜星戦においても、女流棋士として全棋士に出場資格のある日本棋戦において史上初めて決勝戦まで進出してきた上野愛咲美三段を下し優勝。一方で、七大タイトルにおいては第44期碁聖戦にて挑戦者決定戦に進出するも羽根直樹九段に敗れるなどし、2015年以来の挑戦手合出場なしに終わった。しかしながら、年間では47勝14敗で勝率 .7705 という成績を残し、7月4日から9月23日にかけては16連勝を記録。棋道賞勝率第1位賞及び連勝賞を受賞した[33]。

2020年、早稲田大学社会科学部を卒業して実家が創業家である河北新報社に入社し、同社東京支社編集部に所属する新聞記者として活動する傍ら、これまで通り囲碁棋士としても活動する[34][35]。また、同年には第45期碁聖戦で羽根直樹碁聖への挑戦権を獲得。過去5回の挑戦手合出場はいずれも井山裕太との対戦であり、他の棋士との対戦は初めてとなった。8月14日、挑戦手合を3勝0敗で制し、通算6度目の挑戦で念願の七大タイトル初獲得を達成した[36][37][38]。12月には井山裕太から3勝2敗のフルセットの末に天元位を奪取し[39]、規定により九段に昇段した[40]。棋道賞では優秀棋士賞、国際賞、最多勝利賞、勝率第1位賞、最多対局賞を受賞し[41]、賞金ランキングでは井山に次ぐ2位に入った[42]。

2021年、第68回NHK杯(2020年度)で、決勝で余正麒八段を下して2回目の優勝。しかし碁聖・天元を失冠して再び無冠となる。名人戦では井山に再挑戦も敗北。

2022年、棋聖戦挑戦手合で井山裕太棋聖(五冠)にフルセットの末4勝3敗で囲碁界最高位の棋聖を獲得[43]。しかし本因坊戦と碁聖戦での井山への挑戦は退けられる。七大タイトル以外では、フィッシャー形式の第1期新竜星戦決勝三番勝負では許家元十段に2連勝し優勝。第69回NHK杯(2021年度)で、決勝で高尾紳路九段を下して連覇。

2023年、第47期棋聖戦挑戦手合で4勝2敗として芝野虎丸名人の挑戦を退け、タイトル初防衛を果たした[44]。3連覇を狙っていた第70回NHK杯(2022年度)では、決勝で関航太郎天元に敗北。3連覇を逃した。第78期本因坊戦リーグでは全勝で本因坊文裕への挑戦者となり、続く第48期碁聖戦でも井山碁聖への挑戦者となった。これによって井山裕太とのタイトル戦番勝負の回数が13回となり「井山裕太-山下敬吾」の12回を抜いて単独最多記録となった。本因坊挑戦手合では4勝3敗で勝利し、井山裕太の12連覇を阻んで初の本因坊タイトルを獲得した[45]ものの、碁聖戦挑戦手合は3連敗で復冠はならなかった。続く名人戦リーグも6勝1敗同士の井山裕太との挑戦者決定戦となったが惜しくも敗れている。天元戦では挑戦者決定戦で富士田明彦七段に中押し勝ちし2期ぶりに関への挑戦権を獲得。



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